お福分け

 

 +++++++見聞きした「福」を積んでおくページです+++++++

お福情報をみつけ、リンク先を張ってupしていましたが、リンクに飛べないものなども出てきますので日々少しずつ整理しています。

 

 

2026.07.26「受け取ること」と「差し出すこと」

心理臨床を専門とする某研修会にて、とても久しぶりに良い催しを聴講できました。

「講演」とは学術的な共有会でよく使われる文言ですが、今回のものは「公演」だったと感じましたし、いっそ「公園」という字を充てても、より一層多様なことに気づかされるような、ほんとうによい催しでした。

その講演内容は、今後発刊予定の書籍に詳しいと思います。

今はまだ、相当するものが一般には出回っていませんので、末尾に、現在までに出版されている書籍をご紹介しておきます。

講師の野口先生は、京都大学大学院教育学研究科に在籍され、教育と研究に邁進されている心理臨床家です。

 

今回のおはなしは、ある描画療法がテーマなのですが、当室にとっては、当たり前によくある、そして機会があればいつでもためせるものでありながら、その機会そのものが大切なので、決して毎日登場するわけでもない、とはいえ、大切なものの、ひとつです。

しかし、世間一般を見渡すと、とにかく言葉でやりとり、とにかく言語化、ということが心理臨床の世界でさえ、(だからこそかもしれませんが)目指されるところが、昨今はどうしてもあるように思います、

 

とにかく急いで、とにかく言葉で、新しいことを理解し、とにかく認知の変容を早いことやり遂げて落ちつく。

そんなことができる人は、まったくそれで結構なのですが、そんなことはできない。

というタイミングを人生で迎えることが実は、誰しもにあって、そうした方々と長年ご一緒してきているのが当室です。

 

今回の講演(公演)でのおはなしの紹介文を、ごく一部引用します。

専門職向けの研修ですので、あ、この記事はちょっと自分には関係ないな、というところが、どなたにもあるかと思います。

が、興味深いのは、以下にある「関わること」と「しすぎないこと」の間の微妙な感覚を大切にしながら人のこころがそれぞれに展開していく場を立てる、というのは、こころの子育てでも、本来の子育てでも、とても重要かつ必要性がある、という意味で、関心を持っていただけるところのある記事かもしれません。

読む方にとって、多様な気付きを各々持てるところがあるのではないかな、と思い、記事にしています。

 

『「関わること」と「しすぎないこと」のあいだの微妙な感覚が、非常に具体的なかたちで問われる技法(中略)からそれを紐解いていただきます。言葉にならない体験がイメージとして現れる場面や(中略)、そしてイメージに対する臨床的態度についてじっくりと考えていく時間になるかと思います。初学者の方たちにとっても、イメージを扱う心理療法の核心に触れる貴重な機会となるでしょう。

 

「関わること」と「しすぎないこと」のあいだの絶妙な感覚、とは言い得て妙です。

(ご紹介文も、実はたいへん高名な臨床家の先生の言葉です。)

(岩宮恵子先生:思春期前後の、なんともいえない苦しい、言葉にし難いこころの内のそばに、長年にわたり臨床現場でともにおられ、彼らのこころの世界を、彼らの好きなもの、怖いもの、推しているものなどを通して間接的に共有することで、深く支えてこられた先生です。)

 

「関わること」と「しすぎないこと」というキーワードは、子育てばかりでなく、どのような対人関係においても、いえることかもしれません。

ところが、世間一般ではなかなかに、関わりすぎる(過保護)か、なにもしない(放置)か。

そんな両極を、誰もが揺れながら、はっとして立ち止まり、その極端さに悩みながら日々を生きているのかもしれません。

互いにとってのほどよい心地、というものがあるとすれば、それはとても丁寧に紡いでいかねば生じてこない、ある意味、奇跡のようなものです。

 

しかし、こころの臨床ではそれを奇跡、といっている場合ではない。

というところの責務を、野口先生は背負っておられる世代です。

わたくしもまた、その一人です。

野口先生は、軽妙な語り口で、等身大の人間としての不完全さを存分に発揮されながらも、内容は鋭く、「なんでも出せばよいものではない」「素人とのちがい」について、厳しく維持しなくてはならないスタンスを抽出し、整理し、端的に語られました。

詳細は、書籍の刊行を待つことにして、少しだけいえるとすれば、お互いの間に生じてきたものをしっかり「受け取ること」、そこにいながら自分を通して生じてきたものを「差し出すこと」。

それができるかどうか?

と、語られていました。

 

「差し出す」とは、専門家のアドバイスや忠告、経験やデータから得られた決定版の方法や回答を、一方的に教えることではありません。

自らを差し出す、というのは、自分の譲れない思いや大切な信念を、相手にどうあっても納得させようとすることではなく、そもそも自分に主語を置かない、介入しない、操作しない、ということを踏まえておこなわれるものです。

それを、分析心理学を基盤とする心理療法、心理臨床では最重視します。

なぜなら、専門家の熱い想いや信念、わかりやすいアドバイスこそが、実は人のこころを傷つけることがあり、たいしてなんの役にも立たないことを、自らを通して知っている人の集団が、分析心理学に居残り続け研鑽を続ける人の姿だからです。

 

いや、専門家のアドバイスこそが大事では?

そもそも、言っていることがわからない。

というところを、私たちは長いあいだずっと生き続け、その問いを捨てず、わかった気にならず、どんな言葉でなら、このわからないことをエッセンスにして抽出し薫らせることができるか?

そのようなところは、とても長く研鑽を積まねばならないところで、この記事でポカッと簡単に示すことはできないところです。

それでも、こうして素晴らしい公演(講演)のことを記事にしておきたいと思いました。

言葉にしてかんたんに分かった気になってはいけない、大切なことがあることを忘れてはならない。

そう何度も繰り返し、示し続ける必要が、いよいよ増してくる時代になってきた、というところも大いにあります。

当室で、皆さんとともに取り組んでいることは、「認知の変容」「困りごとの解消」という言葉では(我々実際の当事者としては)全くぴったり来ないようなことのように思います。

 

野口先生の言葉を引用すると、「自分の中で遠いもの、自分の中にありながらも自分にはまったくわからないもの、自分からはすっかり切り離されてしまっているもの」に、心理療法家と共にいることを通して、はじめてその自分に出会っていく旅のようなものです。

少なくとも私は、そのように実感しています。

 

この記事の一番に重要なところは、最後のここ↓です。

野口先生は、絵がとても下手なひとです。

そのことを周囲から再々、昔からずっと、指摘されてきたそうです。

色塗りをすればはみだし、どうしてきっちりとはみ出さずに塗れないのかといわれ、線をひけばまっすぐに引けず、というお子さんだったとのこと。

 

現代は、昔の戒めから学んでなのか、どのような世代でも大人も子供も支援支援といわれ、問題が起こる前に先立って先立って展開することが正義のような風潮がありますが、色がはみだし、線が引けない自分を、しっかりと生きることもできないなんて、なんだかおそろしい時代ですね。

野口先生は、そんなご自分を生き抜いて、今、言葉にならないことを受け取り、自分を差し出すことをする心理臨床家になられました。

 

こころの子育ても、実際の子育ても、人間関係でも、「関わること」と「しすぎないこと」の間の、絶妙な感覚を必ず大切にしなくてはなりません。

でも、必ず私たちはそれに失敗します。

そんな不完全な自分と相手を、まずは急いで変えようとしないで、その自分を生きていく、その自分で生きていくとはどのようなことか。

そんなことを改めて何度でも、大切にしていきたいと思います。

 

野口先生におはなしを聴いてもらいたい人が殺到しそうな推し記事ですが、野口先生は現在、上記のようなことを大切にできる臨床家の育成を中心的におこなわれているため、その機会は難しいかもしれません。

けれども、そのうち出る新刊を楽しみにしていただければ、ということと、こうしたことを大切にできる若手の臨床家が多く輩出されることこそ、変なことの多すぎるこの時代において、とても喜ばしい未来の出来事の一つではないかなと思います。

 

野口先生書籍https://www.sogensha.co.jp/author/a10098547.html

 

2026.07.11「マサラ上映」

当室のある地方では、このほど梅雨あけいたしました。

もうセミの声をきいたという方もおられます。

近年の夏の日々は、なにかと天候に気をつけなくてはならないことも多く、少し身構えてしまうようなところもあります。

けれども、この夏の到来を楽しめることをいくつか、今から予定されてよいかもしれません。

海へでかける、というのもよいですし、涼しくした部屋でカレーを食べる、などもよいかもしれません。

 

この記事の下部に、「【阪急沿線おしらべ係 第70回】これが映画館!?塚口駅前に全国から人が集まる「マサラ上映」とは!」という外部リンクを貼っています。

記事じたいは冬場に取材されたようですが、これからの季節にも似た熱気が感じられます。

 

テレビのニュース等、後から再生可能ではないような、流れていく情報の中でも、「これは!」と思うものをメモしておいて、後から調べてみることがあります。

この記事のリンクもそれにあたります。

 

しばらく前にニュースで知った、とある地域の小さな映画館の話題なのです。

なにごとも今は、少子高齢、過疎、不況などでうまく立ちゆかないことが増えていると聞こえてきます。

そんな中、今やとても盛況な映画館へと展開されたという場所で、その主催者の方がインタビューを受けていました。

 

日々、「場ができる」とは何かについて臨床心理学の立場から考え続けている人間にとっては、たいへん強く関心が向く内容でした。

内容、というよりも、この主催者の方の佇まいがなんとも面白く、信頼でき、尊敬できるのです。

もともと、映画をとても好きな方なのだそうですが、「もう何千本(何万本だったかもしれません)観てきて・・」と話されるのを聴くと、それだけ膨大なデータをAIで処理するのではなく、自らを投入して自分の体験を通じて時間もかけて、地道にとってきた方だ、と驚き尊敬しながら聴いてしまいます。

 

続けてその方が、「もう、ほとんど忘れてるんですけどね。残っているのは何本かだけです。」

というようなことを仰り、これは本当にすごい、と笑いながら関心を寄せました。

 

このほど、その映画館についての素晴らしい記事をみつけましたので、下に貼っておきます。

 

「うちではマサラ上映というのをやっていて、皆さんで踊ったりカレーを食べたり・・」ともインタビューでは仰っていて、面白くてたまらず、笑いながら聴いていました。

お人柄が伝わってきます。

 

現代とは、データ最強説、科学至上主義をごり押しする恐ろしい非人間的な権威、威圧的で恐ろしく危険な時世が、この世界を動かしているのが現実なのかもしれません。

しかし、その恐怖を与えてくる非人間的な人間あるいは仕組みに雌伏させられ恐怖を感じながら、ただバカにされてよい人間の営みは、どこにもありません。

(この映画館のことではなく、正しいことはデータ分析による科学的なことしかないとジャッジされ、軽んじられて黙らされてしまう大切なことがある、ということです。)

 

世界の大きな流れを補償するような、こうしたちいさなエピソードに目を留め立ち止まり考えることをするのは、当室がベースにしている分析心理学の本質によるものです。

 

一面的、一様に、これが正しいと科学を引き合いにして確信するときほど、「私はこれまでに膨大な数の映画をみてきた。その経験をもとに」だいたいのことを忘れてしまったと笑う個人を大切にしなくてはなりません。

マサラ上映(皆で盛り上がりながら映画を観ることだそうです。そしてこの映画館ではカレーを食べるそうです。)を企画し、運営し、コロナ禍を経て苦しい経営状況の中、同じこの地域で楽しまれる場として再生を遂げた、という地道な作業をしてこられた一人の人の声に耳を傾け、その失敗譚(成功譚とはよくいいますがその反対の)も大切にしたいものです。

騒いで映画をみることは好みませんが、哀愁漂うこの主催者の方のつくる場には、素直にいってみたいと思わされます。

皆さんの中に行かれた方がいれば、またお話を聴かせて下さい。 

 

前記事の「音楽に乗る」内の誤字を修正し、末尾を少し付け加えました。

内容は、そのままです。

 

全国から人が集まるマサラ上映https://cdn.hankyu-app.com/content/article/2025/article_03.html

 

 

2026.07.08「音楽に乗る」(末尾修正版)

音楽に「乗って」、どこまでも行ける瞬間。

そんな体験と、それに似たような体験の色々について考えています。

音楽、そのリズム、内側から沸き立つような体験がされる時と、音楽は聴こえているけれどただ外側を滑り落ちていく「乗れない」時と。

そのような違いを、どんなふうに理解できるかと考えているところです。

かんたんなわかりやすい答えは出ませんが、脳のどの部分が作用しているか、ということが詳細に書かれた、脳科学のホームページではなく音楽のホームページのリンクを以下においておきます。

皆さんも、それぞれに音楽について思われることがあるかと思います。

それは各々にとって、とても個人的に大切なことでありながら、多くの誰かと共有することもできるもの。

音楽にはそんな不思議な力があります。

そして同時に、音楽に乗れない時だってあって、そこには何が起きているのか?

更には、「音楽に乗れない」ように見えるけれど、その音楽を聴いている本人にとって、実はそれは何か大切な体験になっているのかもしれません。

そのようなことを考えたいと思っています。

 

なぜなら、相手がこうみえる、ということと、相手の体験がほんとうにそうである、ということの間には溝があるはずだからです。

 

わたしたちは、誰もが自分本位で自分中心にものごとを考えジャッジする傾向を持っていますが、相手を批判・評価する時ほど、相手のみえかた、相手のきこえかた、相手のこころに流れる音楽のことなど、わたしたちは決して、知り得てはいないのだ。

という、当たり前のことを見失っていることが多々あります。

そんなことを、自戒を込めて思うことがあり、とても幼い人(実際に年齢として)から新しく学ばされることが増えています。

 

相手のこころには、わたしのこころにこんなふうに聞こえている音楽が、どのように聞こえ体験されているか?

そのことをじゅうぶんには知り得ないまでも、「相手にだけ聞こえている音楽がある」ということをいつも大切にしていきたいものです。

 

なぜなら、今の時世では、これが最新、これが正しい、これが良い、と結論づけられたものをあちこちから押しつけられることが日々なんだか増えていて、そのぶん、なんだかわからないこと、どのようにも理解し得る幅を、ぶった切ってないものにするような動きがまた、人間のあいだに増えてきているように思えるからです。

自分の在り方も含めて、体験の多様さ、「聞こえていないし乗れていない」ような他者のこころに実は流れている豊かな音楽について、またその世界の無音性についても、思いを馳せ、大切にしていきたいです。

 

当室では、その人それぞれの独自の広がり、幅を大切に、その人の生きる世界が広がり、これまでよりも幅をもって世界が体験できるよう、そのようなことが日々、おこなわれているのではないかな、そんなように思います。

頑張るばかりでなく、ただここにいる、ということも大切にしながら、当室の「研究」をいよいよすすめていきたいと願っています。

なお、ここでいう「研究」とは、共にこころについて、人生について、一様ではないやりかたで検討していきましょう、という意味合いです。

カウンセリングルーム、心理療法室の名称に「研究室」と銘打っているのも、そのようなところからです。

来談される方は、共に見えないこころの諸相(しかも、誰のものでもない自分の)を、ああでもないこうでもないどうしたらいいのかな、と探求する共同研究者です。

研究、なんて大きなことはやる気が無い。

ピンとこない。

ただ困って、悩んで、疲れている、どうしたらいいのかと思っている、そういうことなのだけれど?

という方。

色々なことを自分で試して考えてうまくいかず、と立ち止まるタイミングは、見えない「こころのこと」を、ちょっと誰かと一緒にやってみよう、そういう大切なチャンスになると当室は考えています。

そうした方お一人おひとりのチャンスに応えるべく、日々来談をお待ちしています。

 

音楽はなぜ心を動かすのか?https://musicmusicologic.com/music-and-emotion-neuroscience-analysis/

 

 

2026.07.07「リズムにあわせて」

リズムに乗る、という体験の仕組みには、小脳その他の脳機能が関わることを調べていて、その過程で以下のようなページをみつけました。

リズムにあわせて身体を動かすという仕組みについて、わかりやすく解説されています。

そのことを考えていて、また改めてこちらで書こうと予定しています。

ひとまず、参考になった資料のリンクを以下においておきます。

●の横をポイント、クリックすると、外部リンクへ飛べます。

 

七夕の願い事、皆さんはどのように書いたでしょうか。

善きものが残りますように。

悪しきものとしての、一見するとわかりやすいと勘違いされている、けれども浅はかなもの、きらびやかな装飾だけで中身のないものなどが様々に風化して廃れていく、自然の摂理を改めて自戒を込めつつ願います。

自分の持ち物にも様々な装飾がなされていて、それを気に入る自分自身についても自戒しつつ、美しいと感じるものが風化しないこと、経年によって新たな艶を帯びることを、益々信じていきたいものです。

この時世の七夕が、善きものとなりますように。

 

リズムにあわせてからだを動かすしくみ

https://www.brh.co.jp/publication/journal/111/research01

 

 

2026.06.23「異なる位相を繋ぐ役割」

臨床心理学者河合隼雄の新刊に、「ますます重要なコーディネーターの仕事」という章があります。

この章の文脈、背景には、次のような事情があることが、別の章に様々なかたちで書かれています。

 

国力を経済に注ぎすぎると、不況時ともなれば一気にトーンダウンし国じゅうが元気をなくしてしまう。

そうした状況を補償すると考えられた「日本における文化振興」の重要性について、次のような理解がなされています。

「日本における文化振興」を、一極集中型の仕切りでおこなうのではなく、全国各地の「おもしろいこと」を通じて、多発的にあらわれてくることの、その全体を見ていく。

そこには、何らかの権威、あるいは行政的構造のみによる「仕切り屋的中心」は存在せず、多くの地方文化や風土、そうした異なる諸々の事象を、そのままにしながらゆるやかに繋いでいくことで、何らかの「ひとつ」「全体」をみていく。

そのような視座が不可欠とのことです。

 

現代でもこれまでも、我々の意識はいわゆる「主流」というものを同調圧力で作り出し、決してそこにあるはずのない「権力」が、いつもなぜかそこに確固としてあるものと共同幻想で捉え、錯覚し、それを何らかの決定版としてしまいます。

時流によって「主流」などは本当に驚くくらいどんどんかわっていくのが普通ですが、時勢によって「これが正しい」といった狭いみかたをすると、主流がその時代の不安や不安定さを反映したひとつの現象に過ぎないことが、なんとなく忘れられてしまいます。

 

そこでは、多様ではない一様さが生じ、多層性は決して生まれず一層=「表面的な理解」こそ、ひとつの正しいものとして狭くて硬い理解が抽出されていく。

そのような「カンタン」な一本道でしかものを考えない在り方は、人間の豊かさの対極にある「人間の危機」です。

こうした危機感とそれへの対応の秘密が、この著作の全編を通底するテーマのように、わたくしには読めます。

決して、ここまで鋭い口調では書かれていません。

そこが、河合隼雄の二重性の魅力的なところです。

読んでいてワクワクとする語り口、論調、それは湯船につかってやすんでいられるようなものでは決してなく、ザバッと湯から出て、「我、なにごとかを成しに行く。」そのような原動力を読む人それぞれが与えられそうなものです。

河合隼雄の語り口は、そのような力を持っています。

 

語り口はおいておいて、上記のような背景が示された本著において、「異なるものを繋いでいくコーディネーターの役割は、今後益々重要になるだろう。」

そのように書かれた章でした。

コーディネーターには、調整役という意味があります。

あらゆる場面でコーディネートすることは存在していますし各方面でコーディネーターは活躍していますが、端的にはファッションのコーディネイターなど、とてもわかりやすいように思われます。

様々な素材や色合いの異なるものを、すべてそのままに、一人がうまく着こなし、全体としてその人らしさが際立つ。

それが、ファッションコーディネ-ターによる、異なるものを繋ぐ役割でしょう。

 

この文末には、また少しちがった新しい現場のコーディネイターが存在することをご紹介しておきます。

子どもさんが社会に出て行く直前のタイミングに、社会=文化や地域と学校の場全体や、子どもさん個々人がつながれていくような仕掛けを検討し、自分自身は触媒のようなものとして、決して仕切り屋ほどの力は何も与えられていないのだけれど、とても大切な役割、いることでものごとが展開していくポジションです。

しかしその役割にある当事者は、なかなかたいへんです。

多様・多層なところに必ずある矛盾を、そのまま生きて耐えぬいていかねばならず、そこのたいへんさについて、当室でも様々なところから学ばせていただいています。

人には、誰にでもコーディネーターとしての役割を生きねばならない時や場面があるでしょう。

きっと、どんな人でも、異なる層を無視せずに認識しながら繋いでいくしんどさを体験し、今を生きていることでしょう。

そのようなことが改めて整理されつつ、河合隼雄「日本人の心のありかたと未来」を読みました。

人と話すときにも様々な話題となっています。

ここで紹介、案内したふうには決して読めないとも思いますが、関心を持たれたかたは是非、手に取ってみて下さい。

 

本書籍の出版社「さくら舎」は、なんと「あしたのジョー」の担当編集さんだった方が代表を務める会社だそう。

 

こちらのページにて上記の書籍を紹介するにあたり、はじめてさくら舎さんのホームページをのぞいてみましたが、河合隼雄の新刊の下に掲載されていた新刊は、88歳認知症!死ぬ権利が欲しい! でした。

すごく関心が向きます、読んでみようかなと思っています。

(下記の●の右の文章をポイント、クリックすると、コーディネーターの記事や、河合隼雄の新刊本のリンク先へいけます。)

 

高校と地域・社会を繋ぐコーディネーターガイド

 

 

河合隼雄著「日本人の心のありかたと未来」(さくら舎)

 

2026.6.22.「コーディネーター」

しばらくバタバタとしていて更新が滞っていました。

更新できていないな、と自認しながら気まずく忙しく過ごしていると、たまに見に来てみて変わっていると(更新されていると)、あ、変わっている、と嬉しい。

そのように伝えてくださる方があり、この事実自体は反省しながらも、とてもじょうずに、思いを伝えてくださるな、と感嘆します。

人間は、本当に伝わると、こちらにも新しい変化が及びます。

こうして、更新する内容が見つかってきます。

この欄は、よい情報と、それにまつわって見出されてくる大切なことを積み重ねて置いていくところなので、それに該当するものがなければ、いつまでたっても更新されません。

今回は、コーディネーターのことを。

河合隼雄の6月の新刊「日本人の心のありかたと未来」に、コーディネーターのことが書かれた章がみつかり、とても仰天させられます。

というおはなしを、一人でびっくりしているだけではなく、読んでみてびっくりしたのだけれど?

と、複数の集まりで話してみると、それはすごい、先見の明、いったい、いつ書かれたものですか?

などと更に話題となります。

そういえば時々、というよりはいつも忘れていますが、河合隼雄先生は既に鬼籍にお入りで、新刊本は復刻が前提ですが、この時代の流れの中で書かれたものとしか思えないフレッシュさがあります。

この時代の中で書かれる。

ということは、時代は全ての点が繋がったものでできているのでそれは当たり前のようなのですが難しく、単なる前の点、といった独立したものが少なくありません。

しかし、河合隼雄先生の語録には、少なからず先の時代と繋がったものがみつかります。

そのことに勇気ややる気や元気をもらい、コーディネーターのことを書いておこうと思います。

本編は近く次の機会に。

 

 

 

 

2026.2.24.「冬季オリンピック閉幕」

およそ2週間にわたる、イタリア北部で開催された冬のオリンピックは、色々なところで話題になっていました。

スポーツが我々のこころに及ぼす影響について、とてもわかりやすく、かつストレートに発言された美しい記事をみつけ、リンクを貼ります。

一人のアナウンサーが述べた真摯な言葉を、記事から引用して、こちらにも掲載したいと思います。

(リンク先が閉じられることを想定し、大切なところを引用します。)

TBSの朝の情報番組の早朝のオープニングトークで、閉幕したミラノ・コルティナ五輪について話題にされたそうです。

記事にあるアナウンサーの言葉を、すこし長いですが、そのまま引用します。

 

「五輪の『3つの価値』というものがあります。エクセレンス、フレンドシップ、そしてリスペクトです。卓越すること、互いを理解すること、ルールを守り勝者をたたえること」と紹介されたそうです。

 

更に、 「ただ、この3つの価値は決して選手たちだけのものではなく、見てる私たちの生活にも共通するもので、だからこそ、私たちは五輪に心引かれるのだと思います。ロボットが4回転ジャンプをするとその技術に驚かされますけれども、人がやると、失敗、挫折、プレッシャー、恐怖に打ち勝ってパフォーマンスをする。その姿に、選手の心の強さに、私たちの気持ちが一緒に動くんですよね」と続けたとのこと。

 

そして、「五輪憲章にはこういうことも書いてありました。卓越したものを人は見ると、前向きで健全な選択をするようになるんだと。閉会式を見ながら、私でさえ、いい仕事をしよう、と前向きな気持ちになりましたからね。五輪の効果は絶大だと思います」と述べ、「それでは、卓越した番組をご覧下さい。『THE TIME,』、スタートです」と、早朝から平日毎日放送されている情報番組を始めた、という記事でした。

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今は、多くのTV番組を無料で再生できる仕組みが提供され、助かることも多々ありますが、こうした情報番組の胸に迫る言葉は、早朝にそれを生で聴いた人しか得ることのできない、偶然の賜(たまもの≒贈り物)です。

近年、AIが多くの人間の作業を引き受け、迅速かつ正確に収集されたデータベースに則り、人を安心させ人に役立つ機能を発展させようとしている、そんな最初の時代を我々は生きています。

そこには、誤ったデータが紛れ込んでいてもネットリテラシー(受け取った情報を鵜呑みにしないという距離のとりかた)がなければ、フェイク情報や誤ったガイドに従って、知らず知らずのうちに袋小路に迷い込んでしまうことも、まだまだあるようです。

自分自身の経験からも気をつけないといけないな、と思わされることがあります。

AIを鵜呑みにしない、というリテラシーは、いつでも必要なものだと素朴に感じます。

我々は、便利なものに驚き、進化・発展する科学の賜と、仲良くしていこうとする柔らかな態度を持っています。

しかしその一方で、人間存在の尊厳、他者を尊重するこころがあまりにすり減り、そのことに誰も疑問を呈することもなく、権威や強さや大小の過ちによって多くの尊厳が静かに酷いやりかたで一方的に虐げられていることを、誰もが静かに見過ごし、決して関知しない。

そのようなことは決してあってはならないと素朴に思えることが、こころを巡って作業する際のベースです。

 

ただし、人のこころにおいて何よりも重要なことはいつでも、たいてい言葉を持たず、主張する機会は最初から奪われ、多くの真実の言葉は諦められ、長く沈黙を保つことも多いものです。

臨床心理士は、そうした深刻な状況に対して、カウンターバランスとして静かに強く存在しなくてはならない社会的役割を担います。

その理由は、人のこころにおいて何よりも重要なこと、すなわち、自らで自分自身の尊厳を貶める状況、あるいは他者から継続的に尊厳を貶められる状況に関して、誰もが理解を示さず対応もしない状況といった、日常どこでもおきやすい出来事に対応する人間が必要だからです。

近年は、臨床心理学・臨床心理士のこうした役割はずいぶんと薄れ、AIや科学やデータさえあれば人の尊厳など日常においてはなくてもよいような風潮が、強い世の中です。

朝の情報番組から、時ならぬエールをいただきます。

こちらで引用したアナウンサーの言葉に、偶然に出会い、こころ動かされ、こころを寄せ、この言葉を聴いて自分も良い仕事をしよう、と思う市井の人が一人でも多く増えることを信じて、早朝のアナウンサーは、すぐに消えていく自分の言葉を紡いだのだと思います。

 

人間存在に関して「こころ」の存在を想定し、言葉を聴くお仕事を長年続けていますが、人のこころを大切にする良い仕事とは、なにか?

そのようなことを繰り返し、日々問い続けていかねばならないと思います。

卓抜したスポーツ選手たちの活躍に影響を受けて、日々、前向きで健全な選択をしていきたいものです。

皆さんは、冬季オリンピックはいかがでしたか?

また面接の中で、機会があれば色々なおはなしができますように。

(以下の●の横の文章をポイントしクリックするとリンクにとびます。)

「閉会式を見ながら、私でさえ…」 安住紳一郎アナ、朝の生放送で五輪を振り返る 「効果は絶大だと思います」(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

 

2026.1.30.「はじめて知ること

世の中にはじつに様々な、各種領域の実践機関、全く知らないコミュニティ、趣味、集まりがあるものだなあと、人からうかがってはじめて知ることが多くあります。

「はじめて知る」という体験なくして、自分自身の鮮度をあげることは決してできない。

と、日々驚かされながら新鮮になって、繰り返し気づかされます。

新しいことを教えて下さるのは、人生の先輩である場合はもちろん日々多々あることですが、生まれてまだ数年ではないか、と感じるような年少の子どもさんや、とてもお若い皆さんから教わることが、近年では本当に多くなりました。

もちろん、そのあいだの様々な年代の方々からも多くを教わり、驚くことばかりです。

 

びっくりするのが苦手、という方も少なくないかもしれませんが、人間は(よい意味で)驚かされてはじめて鮮度がよくなります。

古くなって硬くなるとずいぶん不自由になりますので、良き「はじめて知ること」を、こちらでシェアできればと常々考えています。

このページに、「はじめて知ること」を少しでもシェアできれば、という思いで細々と更新を続けています。

「協力連携先」ページも、日々細々と更新しています。

よい事業所様や諸機関とご縁があることも、新鮮で嬉しいことで感謝しています。

 

今回は、主に関東圏で事業を展開されている発達障害のある子どもさんのサポート、色々なヒントが得られるページをご案内します。

「図表でわかる!発達障害」というページの一覧があります。

職業柄、全てを網羅して既知である、はずのことがらでも、まったくはじめて知るような新鮮な体験がされました。

とてもわかりやすくて驚かされます。

実はこちらの事業所様の卓上カレンダーがあって、そこにニューロダイバージェントを一枚で説明した図があり、こりゃあえらいもんだと驚きました。

以下では、それとはまた異なる興味深い記事にとびますが、「図表でわかる!」とホームページ内で検索すると、多くの記事が出てきます。

勉強になります。ぜひ。

(下記の●の後をポイントし、クリックすると記事に飛べます。)

【図表でわかる!】あなたは目で見ておぼえる派?耳からおぼえる派?|自分に合ったおぼえ方のヒント : 【図表でわかる!】発達障害 - ティーンズ

 

 

2026.1.4.「新年の目標」

 一年の計は元旦にあり。

この時期、どんな一年だったかを振り返り、これからどんな一年にしたいか、と展望を確かめるような機会がどうしても普段よりは多くなります。

こちらから伺うときはいつでも、自分はどうか?

と思いながら伺いますし、突然に「どんな一年でしたか?」「どんな一年にしたいですか?」と聴かれることもあります。

その時にパッと出てくる何かが、どのようなものであってもひとまず大事、と考える立場です。

意識で考え抜くことの重要性の裏面には、意識で考えてはいないことの重要性が存在することを、心理学は少しだけ知っています。

 

一年の展望?

と訊ねられ、よくよく考える人もあるでしょうし、人との対話を通じて、これまで思ってもないことが突如として出てくることもあるかもしれません。

人との対話なくして、自分だけの内にある展望が、外側に出て形になることもまたありません。

話すことで長く思っていたような諸相に、改めて違和感を感じることに気づかされることも、ないことではありません。

てのひらの中でスクロールする情報やデータをみてしまうと、それがあたかも前々から自分自身が思いついていた、自分自身のオリジナルな展望であるかのように勘違いすることも、人間としては誰でも大いにあることでしょう。

そう思うと、なんの準備もなしに突然、何が自分の内側からでてくるかを試すことには意味があるでしょうし、そこで考えてみても何も出てこない、という結果を得ることもまた、ひとつ大きな意味があるでしょう。

 

下記の記事には、「たいして目標なんて持てない」という我々にとってよくある本音について、様々な視点から言及されています。

 なにはともあれ、新しい一年を自分として、可能な限り健康に留意して、どなたもが各々ご自分のペースで、日々を積み重ねていけますように。

(下記の●の後をポイントし、クリックすると記事に飛べます。)

 

今年の目標は立てなくていい。もっと本質的な、人生を動かす「見えない力」とは?

 

 ●頑張りすぎる人へ 目標以上に大切な「本当の目的」とは

 

「やりたいことも目標もない」人のための仕事論 キャリア支援のプロが語る、人生の選択肢の広げ方

 

2026.1.3「セラピーを受ける」

新年あけましておめでとうございます。

心理療法の場としてのコレクティブワーク研究室は、おかげさまで新しい歳を重ねることができました。

これもすべて、これまで長らくお世話になってまいった関係各所の皆々様と、ご縁があって当室を訪れてこられました皆々様のおかげさまでございます。

改めて感謝を申し上げます。

 引き続き、心理療法の場として機能するよう日々精進して参る所存です。

これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

年初にあたり、「セラピーを受ける」ということの背景について書かれた、ごくシンプルで読みやすいサイト記事を、この記事の末尾に置きます。

そのまえに少し心理療法について述べ、記事紹介のまえがきとします。

 

ごく大雑把な表現ではありますが、日本では世界と同じく人間にとって大きな出来事(戦争)が起きた後、その事後の混乱を整理し鎮めていくタイミングで心理療法が生じている文脈のあることが、既に様々な研究によって整理されています。

また、心理療法が体系的な形式を仮にとるまでには、民間療法としての起源が当然あり、それは人間の営みがそれ自体を要求し発生したことを示すものでありますし、他方で海外からのカウンセリング導入をはじめ、アカデミックな、いわゆる科学的な立場を相当に検討してきた流れもあります。

心理療法は、このような多くの流れが絡まった集合体を指しているので、何かひとつの決定版と思われるものが提出されれば、それへの疑義もまた提出され、喩え最終的な結論のようなものが提出されたとしても、それはあくまで一つの観点からの一つの見方に過ぎない、という余白を持たせたものとして捉える可能性を含んでいます。

心理療法は、ある一つの見方によって簡単にジャッジされるものでもなく、そうしたものに左右されるほどにその本質は決して簡単なものではありません。

人間存在の有事の事後を、また日常を支えるものとして、人間存在じたいに関わるものとして、既にそこにあるものです。

 

心理療法が周囲からじゅうぶんに理解され、うまく活用され、多くの人々に還元されている場も数多くあります。

他方で、驚くほど理解されずまるで意図的にわざと心理療法にまつわる誤解を広めて排除しようとするかのように感じられる、謎の動きや流れまで生じることがあります。

それは、心理療法そのものへの理解が浸透している場と、残念なことにそうではない場がある、という簡単な事実と共に、次のようなことを指します。

そもそも心理療法じたいが多数の根から成り、生きた根は次の根を発根させていて、それは容易に否定されて取り除かれることは殆ど不可能なもので、人間存在という大地があれば、それ自体を耕す役割を持つ根として発生するものである、そしてそれを抜こうと躍起になられることもあるが、根そのものにとってそれはあまり意味がない、という現象として理解し得る、ということです。

当室は、そうした心理療法の本質を考え抜く基盤として、分析心理学という根をもとにしています。

かといってそれは単なる限定的な技法ではなく人間存在に対峙する準備にあたるもので、大仰に振りかざすものでもありません。

セラピーは、日常での困り事、自分自身にとっての有事や事件、そうしたものをなんとか受け止めて自分を引き続きやっていくためのものです。

我々が人間をやっていく日々においては、早期の問題解決が困難なことが生じることも少なくありません。

どうにか自分を続けてやっていくための決意や迷いを、根底から支える心理療法が人生で活用される機会は今年かもしれません。

以下の記事(●のところをポイントしてクリックするとサイト記事にとびます)は、セラピーを開始するきっかけを与えてくれる一つのヒントになりそうです。

今年、セラピーを始めてみよう、と思われるきっかけを得られた方は、当室でそれを始めてみてはいかがでしょうか。

 

「今年は、自分自身を選ぶ」:2026年にあちこちで飛び交う決意

 

家族の中で「厄介者」だと思っている?セラピストがその兆候を解き明かす

 

2025.12.20「高校生新聞」

高校生対象の学習番組をみると、復習しながらも知らないことを新たに教わることもあり、面白いと感じます。

番組内の問いかけに、自分ならどう答えるだろう?と考えるのも面白いです。

その番組をそのまま引用するより、視聴体験と似た体験がされるようなサイトを探し、少し紹介します。

クリスマスカードをいただいた方のことを思いながら選びました。

 (●のある文章をポイント、クリックするとリンク先へいけます)

 

高校生新聞オンライン|高校生活と進路選択を応援するお役立ちメディア

世界の未来をかえる店 エシカルスーパーマーケット

 

2025.12.18「いただいた福」

当室にクリスマスカードが届きました。

じっくりと積み重ねてきた心理療法の来談を終えられて、自分らしく自分だけの人生を歩んでおられるご様子のお便りを嬉しく拝読し、キラキラとした灯りのお裾分けをこちらにおいておきます。

冬至近いこの頃は、闇が一年でもっとも深いぶん、イルミネーション等の灯りで互いを励ましながら、共に闇を渡っていく日々です。

しんどいこともあったけれど、今や自分の人生を自分の足で生きるようになった、という勇敢なかたの力に勇気づけられつつ、いまはまだ暗がりにいる全てのこころの状態に、あたたかい光が届くことを願います。

素敵なカードをありがとうございました。

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2025.12.17「発達課題」

冬至の近いこの頃は、年末年始やクリスマスの喜びや期待をA面に、B面では学齢期の子どもさんの進学進級に関する準備が最盛期を迎えます。

学習と発達に関するリンク等を貼って、「福」紹介とします。

最近の新聞記事に、「グループワークや探究学習は応用学習なので、基礎学力がついていないままだと、その場でキラキラできない。」といった主旨が読み取れるものがありました。(末尾のリンク参照)

 

心理学の立場からは、「勤勉さ」が発達課題となる児童期(小学生頃)に、反復する行為で身につける基礎学力が獲得されていないと、「劣等感」が体験される、というA面とB面のあるこころの構造が連想されます。

「危機介入の箱庭療法」という本には、世界の紛争地帯で生きる子どもが、死と隣り合わせの日常の中でドラッグや酒浸りとなり危険な武器を手にし、希望もなく生きていることが書かれています。

そこへ、箱庭療法の訓練を受けたボランティアたちが出向き、箱庭を置く機会を提供します。

やがて、「畑を耕し農作物を作り、それを売って稼ぎたい」という希望を子どもが抱くようになり、その願いに対して支援金が確保され、箱庭に置かれた農場のイメージが実際に実現していくプロセスが紹介されています。

このようなこころの展開が無ければ、支援金は酒とギャンブルに使用されるだけであっただろう、と書かれています。

こうした心理療法の実例から、「日本の教育事情では基礎学力が獲得しにくくなってしまった」という世相への、ヒントや希望の光が得られるのではないかと考えています。

勤勉さを獲得できるような状況ではない紛争地の子どもが、こころの中にある希望を発見することによって、勤勉さを獲得する可能性を高めています。

日本でも、繰り返し練習して覚えていく基礎学習の機会がない場合や、勤勉さを獲得できずに劣等感を体験している場合であっても、その後の展開では勤勉さを必要とする希望がみつかり、勤勉さを獲得するることもないことではありません。

反復練習には集中力が必要です。

その機会を提供する専門家は、塾の先生が最も適任ではないでしょうか。

リンク先の記事には、マンツーマン学習の機会やその継続性が有効である点が示されていて、心理療法の経験からも頷ける構造である、と考えながら読みました。

 

危機介入の箱庭療法

(リンク先:以下をクリックすると記事に移動します。)

スマホじゃなかった?「学力低下」の意外な盲点 : 読売新聞

「学力があと伸び」する子に必要な4つの力とは? 小学校低学年の子どものために親ができること | ダイヤモンド教育ラボ

3.子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題:文部科学省

 

2025.12.16「勉強」

「勉強って、そんなむつかしい、嫌なものじゃないの。これまで知らんかったことを知って、できひんかったことができるようになる。そうなったら、嬉しいやん?わかれへんことあって、わかるようになる、って、すごいことやし、わかって喜ぶ子どもの顔は、キラキラしていてやっぱり嬉しいやんか。」

長年、義務教育で教師をされていた方から、うかがったおはなしです。

大学を出てすぐ教員としてのキャリアを積みかさねられ、最後のキャリアを養護教諭で締めくくり、その後もずっと子どもの支援に関わりを持たれていたかたの言葉です。

勉強って、記憶でも効率でも情報でも戦略でもなく、知らないことを知り、できなかったことができるようになり、分からないことが分かるようになる、自分の幅が広がる作業だと、学生さんとディスカッションする機会があるたびに学ばされます。

また、自分が学ぶ立場である時、義務教育を終えてからでもまだ同じ体験ができるのも、人間のありがたいところです。

心理療法でも、おなじようなことが起きていることに、日々気づかされます。

上記のような教育のプロが、学校だけではなく様々なところで活躍してくださると、学校以外にたくさんいる学びたい人達にも、自分の幅を広げる機会がやってきそうです。

 

 

●司法現場を踏まえて考える子どもの諸問題(開催終了)

司法現場で実際数多く、年少から年長までの児童と生活を共にしながら、並行して国家公務員としてその時その時の職責に多様に従事されてきた方の講演でした。近年の子どもにまつわる現状として、おもてだった非行が減じ、不登校、虐待、犯罪等、遷延化する諸問題が増えてきている、という事実を、明確なデータを示して説明されました。それらの情報を知ったことで、子どもの諸問題の予防に身を投じていく必要に駆られ、心理職に転身されたとのことでした。現在は、学校臨床を中心としながら、元々の動機である「子どもが健全な成長発達を遂げる場をつくる」ことに最前線で人生を賭けていこう、という決意でお話を締めくくられました。終始、現場で、臨床で、最前線で、という態度を崩さず、キャリアがあればあるだけ困難に立ち向かい、前に出ていこうとされる姿に、新しい「臨床家」の発達モデルをみる思いでした。多くの聴講者が、様々な現場エピソードに笑ったり泣いたり、とても素朴で力強い、房本先生そのもの、といった講演でした。

【講座内容】第23回心の相談コロキアム:心理支援 司法の現場から教育の現場へ 近年、子どもを取り巻く環境として「いじめ」「ヤングケアラー」「虐待」「不登校」等の様々な問題があり、さらに非行化すると「薬物使用」「闇バイト」等の犯罪に関わっていくこともあります。司法の現場として少年院や少年鑑別所での支援活動、教育の現場としてスクールカウンセラーの支援活動を紹介し、共通の問題点や今後の展開について提起し、支援者として「できることは何か」を考えてみたいと思います。 2024年度秋期公開講座「第23回心の相談コロキアム: 心理支援 司法の現場から教育の現場へ」【Peatix】

 

●認知症予防のあれこれ

https://jp.lifree.com/ja/dementia-prevention.html

 

元々、このページの「認知機能の予備力を鍛えよう」(「知的活動」10年後に備えて脳の予備力を作る)に引用された、101歳の修道女のおはなしが好きで、いろいろな機会に話しています。

認知機能を衰えさせないためには、日々の自分の役割が大切、と学ばされます。

 

●脳に良い朝の習慣

https://croissant-online.jp/health/198986/2/

 

脳内科医の先生が提唱する、朝の習慣20項目が紹介されています。

デジタルな視覚情報を、受け身にただ眺めることが多い現代生活。

ラジオや、手書き文字、作業しながら歌を歌うなど、脳の機能を偏らせないようなバランスが大事、と理解しました。

13項目目は唯一やりたくないので、ハードルを下げ、やってみると、同じ事を繰り返してしまう自分を発見します。

脳の伝達系がぐるぐる、ワンパターンになるのだなと気づかされ、テーマ縛りで再度挑戦すると、延々とできる自分を発見しました。

13項目目は、「お題を決めたしりとり」です。

  

●ETHレクチャーシリーズ

書籍検索 - 創元社

ユング心理学の、C.G.ユングの講義録シリーズです。

2025年には、既刊書は4冊になりました。

2020年刊行の「近代心理学の歴史」の衝撃は、忘れられない体験になりました。

色々なところで声に出して読んでみる体験をしたことで、まるで神話やおとぎ話のように記憶されています。

講義録は大学の授業の聞き書きのようなものですが、よく聴いていた人の書き写したノートが人を助けるように、聴く以上の体験をすることができるのが、このシリーズの労作のたまものです。

 

●2024年の新刊書

書籍詳細 - 意識と無意識 - 創元社 (sogensha.co.jp)

 刊行がいつも楽しみなシリーズから、ユング心理学の、ユングによる講義に関する新刊が、創元社より出版されています。

わかりやすく、声に出して読むと、講演そのものの場にいるような体験がされる、美しい翻訳です。

なお、創元社のホームページには、心理学に関するオンラインレクチャー等の情報も適宜、掲載されているようです。現任専門職向けのものが多いようです。